【2026年7月7日】リニア中央新幹線の静岡工区について、静岡県の鈴木知事は着工を正式に容認しました。容認した理由として鈴木知事は、JR東海が開いた住民説明会により大井川流域住民の理解が進んだことや、河川法・盛土規制法などの法令手続きが整ったことを挙げています。
また、水資源や自然環境への影響に不安に感じる県民も多いことから、JR東海と締結する「自然環境保全協定」では、工事中や工事完了後も徹底的なモニタリング体制を敷き、不測の事態には工事を一時中断することも明記すると伝えています。
一方、JR東海の丹羽社長は同日(2026年7月7日)に記者会見を開き、静岡県の判断に感謝したうえで「環境保全措置やモニタリングなどを確実に実施し、モニタリングの結果は適時適切に公表していく」と約束。大井川の水資源や南アルプスの環境保全に十分配慮して工事を進めることを強調しました。なお、リニア中央新幹線の開業時期について丹羽社長は「想定より難しい工事になる」として、着工後に明示する方針です。
【解説】リニア静岡工区の着工容認までの軌跡
リニア中央新幹線の工事区間(品川~名古屋)は、全体の約9割がトンネルです。そのひとつに、全長約25kmの「南アルプストンネル」があります。
このトンネルは山梨・静岡・長野の3県にまたがり、静岡県内を通る区間は8.9kmです。山間の地域ですから、駅は設置されません。このわずかな区間をめぐり、静岡県とJR東海は10年以上の大論争を繰り広げました。

出典:JR東海「中央新幹線(東京都・名古屋市間)環境影響評価準備書 静岡県 第8章 環境影響評価の調査の結果の概要並びに予測及び評価の結果」
きっかけは、JR東海が2013年に公表した環境影響評価(環境アセスメント)に向けた準備書でした。このなかで、リニア中央新幹線の工事にともない、大井川などの河川の流量に影響が出るという予測が示されたのです。減少する流量は、場所にもよりますが、最大で毎秒2トン以上。割合にすると、約2割減少する予測です。
この報告を受けた静岡県は、JR東海に対して環境保全措置を講じるように要望します。その後、JR東海は有識者とも検討し「大井川右岸に導水路トンネルを建設して、毎秒1.3トンの流量を戻す」「残りの0.7トンも、必要に応じてポンプアップすることで減少を回避できる」と静岡県に報告します。
この「必要に応じて」というJR東海の認識の甘さに、静岡県は不信感を抱いたようです。当時知事だった川勝前知事は、「(ポンプアップは)『常に』でなければ困る」と主張。水の減少が県民の生死に関わるとして「減少する水の全量戻し」を求めます。
さらに川勝前知事は2017年10月の記者会見で、JR東海が具体的な対応を示さないとして「静岡県民に対して誠意を示す姿勢がなく、心から憤っている。現時点ではJR東海への協力は難しい」と発言。ここから、静岡県とJR東海の関係性が泥沼化していきます。
なお、当時のJR東海の姿勢について、副知事として交渉にあたっていた現・静岡市の難波市長は、2026年7月8日の定例会見で以下のように語っています。
最初の段階では、JR東海は「トンネルを掘って大井川の水が毎秒3トン減ります」っていうときに、それほど大きなことだと捉えていなかったわけですね。3トン減ることを前提に「影響が出ますけど」っていうようなことで終わっていたわけです。
(中略)
毎秒3トン水が減るということを、社会としてどう評価するか。そのぐらいしょうがないですよねっていうのか。そこに対して市民なり県民の皆さんが判断するので、それを知事がどう価値判断をして、これぐらいの理解が得られないと「それはやるべきではない」というところだと思いますね。
出典:2026年7月8日(水)静岡市長定例記者会見
難波市長は、静岡県民の求める価値観とJR東海の価値観にズレがあったのではないかと指摘。川勝前知事は「正当に厳しくみていた」と、当時の状況を語っています。
何かと批判されることも多かった川勝前知事ですが、リニアの件に関しては「県民を守る」ことを前提に議論した結果、JR東海と対峙することになったという見方もできるのです。
前知事の辞職でリニア議論がスピードアップ
その後静岡県は、2018年に専門部会を設置。大井川の水資源問題だけでなく、南アルプスの生物多様性への影響やトンネル掘削土の問題など、解決しなければならない課題をまとめます。ただ、JR東海との議論はなかなか進展せず、静岡県は2019年12月に国に相談。これに対して国は「リニア中央新幹線静岡工区有識者会議」を設置し、JR東海が進める工事への具体的な助言や指導をおこなっていくことになりました。
国の有識者会議は、およそ3年半のあいだに27回実施されました。その議論をまとめた報告書が、2023年12月に公表されます。しかし、川勝前知事は「十分な議論がされていない」と断じ、県の専門部会でJR東海との対話を再び始めることになったのです。
この頃になると、いくら静岡県民を守るためと言っても有識者の見解を受け入れない川勝前知事の姿勢に疑問を感じる他県の知事も現れ始めます。
なおも議論が停滞するなかで、大きな転換期となった出来事が2024年に発生します。川勝前知事の突然の辞職。不適切発言への責任と、リニア問題に「区切りがついた」ことが、辞職の理由でした。
後任に選ばれた鈴木知事は「JR東海との対話を、スピード感をもって進める」と公言。流れが大きく変わり、議論が進み始めます。
静岡工区で解決しなければならない課題は、3分野28項目。このうち、大井川の水資源関連の6項目は、2025年6月に対話が完了。生物多様性関連の17項目と、トンネル発生土関連の5項目も、2026年3月に対話が完了します。
スピード感のある対応に「鈴木知事は議論を妥協している」とみる人もいるようですが、その見方は適切ではないでしょう。県の専門部会とJR東海は、川勝前知事の時代を含めて300回以上も議論してきました。それだけ話し合えば両者の信頼関係が深まり、「議論が進めやすくなった」というのが妥当な解釈です。そもそも静岡県は、リニア建設自体に反対したことは一度もありません。
なお、静岡市の難波市長は「日本の公共事業で、一番詳細な環境影響評価が行われた」と両者の協議を高く評価しています。
その後、JR東海は2026年5月から6月にかけて、大井川流域で住民説明会を開催。22回の説明会に参加した1,137人と、丁寧に対話しました。また、河川法や盛土規制法など各種法令にもとづく事務的な手続きもJR東海と一緒に進め、同年7月3日までに所管行政庁に提出します。こうしたJR東海の真摯な対応も、静岡県が抱き続けた不信感の払しょくにつながったようです。
そして7月7日、鈴木知事は静岡工区の着工を容認。リニア着工をめぐる静岡県とJR東海との長い論争に、ようやく終止符が打たれたのです。
総工事費は2倍以上に?トラブルが続くリニア工事
リニア中央新幹線の静岡工区は、ようやくスタートラインに立てました。ただ、工事が抱える問題はこれから解決していかなければなりません。
南アルプストンネルは、地表からトンネルまでの深さ(土被り)が最大で約1,400メートルにも達します。これほどの深さになると、山自体の重みで壁面に凄まじい圧力がかかるうえ、高圧の地下水が激しく噴き出るリスクが常に付きまといます。JR東海は、地下水や自然環境への影響を監視するモニタリング体制を構築し、工事完了後も継続的に実施していく方針です。
ただ、すでに工事が始まっている線区では、さまざまなトラブルが発生しています。岐阜県瑞浪市では、トンネル掘削工事の影響で周辺の井戸などの水位低下や地盤沈下が発生。これにより、2026年7月時点でも掘削工事は中断しています。また、東京都品川区では道路が隆起するトラブルも。掘削工事は2025年10月から中断しましたが、対策が講じられたことで2026年4月に再開しています。
こうしたトラブルが、静岡工区をはじめ他の工区でも発生し、工期が延びる可能性はあるでしょう。工期が遅延すれば、工事費が増します。JR東海は、品川~名古屋の工事費は「5.5兆円」と計画段階(2014年)に試算していました。しかし、開業時期が遅れたことにくわえ資材費や人件費の高騰などで、工事費は11兆円に膨らむと見込んでいます。今後の工事進捗によっては、さらに増える可能性もあるでしょう。
国家プロジェクトともいえるリニア中央新幹線の工事。安全作業はもとより、環境や沿線地域にも十分配慮しながら工事を進め、無事開業する日を願うばかりです。
参考URL
静岡県議会全員協議会 知事説明要旨
https://www.pref.shizuoka.jp/res/projects/default_project/_page/001/002/001/setumeiyoushi.pdf
中央新幹線(東京都・名古屋市間)環境影響評価準備書 静岡県 第8章 環境影響評価の調査の結果の概要並びに予測及び評価の結果(JR東海)
https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/assessment/prestatement/shizuoka/_pdf/shizuokah08-02-04.pdf
リニア中央新幹線整備工事に伴う環境への影響に関する対応(静岡県)
https://www.pref.shizuoka.jp/kurashikankyo/kankyo/1040554/1002001/index.html
リニア中央新幹線静岡工区の進め方に係る静岡県への回答書の公表(国土交通省)
https://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo09_hh_000071.html
リニア中央新幹線静岡工区 有識者会議について(国土交通省)
https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk9_000011.html