大糸線は、新潟県の糸魚川と長野県の松本を結ぶローカル線です。途中の南小谷を境に管轄事業者がわかれ、新潟県側の糸魚川~南小谷はJR西日本が、長野県側の南小谷~松本はJR東日本が管理しています。
このうち、県境を含む糸魚川~南小谷~白馬は利用者が極端に少なく、廃止にされても不思議ではない危機的状況です。沿線自治体は「大糸線活性化協議会」や「大糸線利用促進輸送強化期成同盟会」などの組織を設置。利用促進をはじめ各種取り組みを進めていますが、とくにJR西日本との協議は難航しているようです。協議会・期成同盟会の話し合いの流れから、大糸線の将来を考察します。
JR大糸線の線区データ
協議対象の区間 | JR大糸線 糸魚川~信濃大町(70.3km) |
輸送密度(1987年→2023年) | 糸魚川~南小谷 987→110 南小谷~白馬 1,719→189 白馬~信濃大町 2,668→770 |
増減率 | 糸魚川~南小谷 -89% 南小谷~白馬 -89% 白馬~信濃大町 -71% |
赤字額(2023年) | 糸魚川~南小谷 5億5,000万円 南小谷~白馬 3億5,200万円 白馬~信濃大町 7億5,800万円 |
営業係数 | 糸魚川~南小谷 2,747 南小谷~白馬 3,490 白馬~信濃大町 857 |
※赤字額・営業係数について、糸魚川~南小谷は2021年から2023年までの平均値(JR西日本公表)、南小谷~白馬~信濃大町は2023年(JR東日本公表)を使用しています。
協議会参加団体
糸魚川市、小谷村、白馬村、大町市、安曇野市、池田町、松川村、松本市、新潟県、長野県、JR西日本、JR東日本、商工団体、観光団体など
大糸線活性化協議会の設置までの経緯
2016年10月、糸魚川市は駅利用者や市民を対象に、公共交通に関するアンケート調査を実施します。このなかで、大糸線の利用頻度について、以下のような結果が示されました。
■「利用していない」の回答が最も多く 74.7%、次いで「年に数回」14.3%であり、全体の 89.0%が年に数回程度または利用していない。
出典:糸魚川市「アンケート調査結果 (速報版)概要版」(平成28年11月)
■「冬季や悪天候時に不定期に利用している」の回答は全体の 0.6%であり、JR大糸線の利用は天候に影響されない。
糸魚川市民の大半が利用しない大糸線。その価値を探ろうと、糸魚川市だけでなく他の沿線自治体も動き始めます。
そして2019年2月、糸魚川~信濃大町の沿線自治体にくわえ、新潟県と長野県、JR西日本、JR東日本によって組織されたのが「大糸線活性化協議会」でした。関係者を一堂に集め、利用者の少ない鉄道の再生をめざした協議が始まったのです。
具体的な目標設定なく始まった取り組み
第1回の協議会(2019年2月)では、「基本方針」と「実施方針」の2点が提議されています。
基本方針では、沿線自治体や県との連携、JRとの連携(車両の活用、広告・宣伝力の活用)について示されています。また、実施方針では「生活利用」「観光利用」「地域連携・協働」「安全・安心・快適」の4項目から、具体的な利用促進策の検討を進めることが確認されます。
■大糸線活性化協議会の取組方針
なお、ここで示したのは「方針」ですから、何をやるのかを決めればよいわけです。ただ、上図の左下にある「振り返り・評価・改善」に関して明確な基準を決めないまま、この後5年にわたり「計画・トライアル・実施」を続けることになります。
JR大糸線のこれまでの取り組みと実施結果
改めて、協議会で決まった取り組みの内容をまとめておきましょう。
- 定期券購入費の一部助成
- バスによる補完増便
- 観光モデルツアーの実施(Hakuba Valleyと連携した観光振興など)
- 他路線とのコラボ企画(えちごトキめき鉄道の乗り入れ、スタンプラリーなど)
- サイクルトレインの運行
- 列車を活用したイベント事業者への助成
- ファンクラブ「大糸線応援隊」の結成
- フォトコンテスト
- 大糸線無料券(回数券)配布事業(配布枚数:129枚)
- 小中学校などの行事利用促進
- 体験学習(大糸線こども車掌体験)
…など
これらのうち一部の取り組みに関しては、数値による報告をおこなっています。
たとえば「定期券購入費の一部助成」に関して、2019年度の申請件数は17件(通勤4件、通学13件)、2020年度は19件に増えますが、2021年度は12件に減っています。また、鉄道が走らない時間帯にバスを増便する実験では、2019年に糸魚川~南小谷・白馬間で1日3.5往復を運行しますが、1便あたりの平均利用者数は4.6人と惨敗でした。
一方、観光モデルツアーは成長の兆しがあります。2020年8月に実施したツアーの参加者は16人でしたが、同年10月には39人に増加。さらに11月から実施したスタンプラリーのキャンペーンには59件の応募があり、増加傾向がみられます。もっとも、新型コロナウィルスの感染拡大の影響が大きく、一概に「増えた」とは言いにくいかもしれません。
このほか、サイクルトレインの参加者数もコロナ禍前(2019年)の13人から、2022年には41人(3回実施の合計)に増加。さらに、えちごトキめき鉄道や北越急行とコラボしたイベントの参加者数は655人(賞品受渡し数)と、大糸線の観光分野におけるポテンシャルは高いといえそうです。
このように、沿線自治体が主体となり各種取り組みが続けられますが、「成果に結びついているか?」といわれると、評価判断が難しいところです。なぜなら「目標値が設定されていない」からです。これまでの協議会の議事録を見る限り、どの取り組みも実績の羅列ばかりで数値目標が記載されていません。
成功か否かを客観的に判断するには、目標値の設定が非常に大切です。役所が主体で実施する公共交通実験によくある話ですが、数値目標もなく取り組みを進めて「これだけ利用された」と、自己満足で終わってしまうケースが多々みられます。
大糸線の協議会にも同じことがいえ、本来の目的である「利用促進につながっているのか?」という客観的な判断が一切されないまま、5年の月日が経過していたのです。
JR西日本の求めで振興部会を設置
大糸線活性化協議会で取り組みが続くなか、JR西日本は2021年12月14日に、協議会ではなく、自治体や経済団体などで構成される「大糸線利用促進輸送強化期成同盟会」に対して、新たな振興部会の設置を求めます。
振興部会の目的は、「沿線活性化の検討」と「持続可能な路線方策の検討」の2点です。この2点の話を「協議会では深度化できない」とJR西日本は考え、期成同盟会に申し入れたのかもしれません。ともあれ、沿線自治体は振興部会の設置を了承。2022年5月から話し合いが始まります。
第1回振興部会は、2022年5月19日に開催。ここでJR西日本から、大糸線(糸魚川~南小千谷)の厳しい利用状況について説明があります。JRが発足して30年余りで、利用者数は9割以上も減少。輸送密度は100人/日前後で、利用者のいない列車も1日数本あります。
JR西日本も、魅力的な旅行商品の提供などで利用促進に努めますが、沿線の過疎化・少子化などの影響もあり、減少に歯止めがかからない状況でした。
この点は、沿線自治体も重々理解しているところです。その沿線自治体は、これまで大糸線活性化協議会が実施してきた取り組みを報告します。この報告に対してJR西日本は、目標値が設定されていない点を指摘。利用促進の各施策に対して、数値目標を設定するよう求めます。
なお、利用促進の施策については沿線自治体だけでなくJR西日本、経済団体、観光団体など、振興部会のメンバー全員が出し合うことで合意。それぞれの施策には、利用客数などの目標値を掲げることも確認されます。
2022年9月26日に開催された第2回振興部会では、利用促進の中間報告が示されます。そのなかで小谷村では、住民に問題意識を持ってほしいと「大糸線振興会議」という組織を設置し、沿線住民からも利用促進のアイデアを募るなど精力的に活動していることが伝えられます。また小谷村では、JRのダイヤにあわせて村営バスの時刻を決めるなど、二次交通を生かした取り組みも進めています。
「沿線活性化の検討」を優先する振興部会にJR西日本が反論
こうして振興部会のメンバーは、第3回振興部会(2022年12月23日)で利用促進策を提示。施策は46項目にのぼり、年間で8万人の利用者増加が期待できると報告されます。
ただ、この第3回の序盤で部会長(大町市)が放った言葉が、自治体とJR西日本とのあいだに大きな亀裂を生むきっかけになりました。
部会長:
出典:大糸線利用促進輸送強化期成同盟会「第3回振興部会 会議録(要旨)」
持続可能な方策検討は振興部会の主題ではあるが、まずは利用促進から始めたい。
このあと、参加メンバーは利用促進策の詳細を説明。JR西日本も、観光型MaaSの促進やSNSを使った情報配信など、自らが提案した施策を説明します。
議題は変わり、「持続可能な路線の方策検討」に。ここでJR西日本は、大糸線の駅別乗車人員の推移や列車別の利用者数、さらに大糸線の運営にかかる費用詳細など未公開の資料を提示。大糸線の厳しい経営状況を伝えます。
■大糸線(糸魚川~南小谷)の費用構造(2017~2019年の平均)
線路等の保守にかかる経費 | 2憶7,200万円 |
信号・電気の保守にかかる経費 | 3,400万円 |
車両の保守にかかる経費 | 4,900万円 |
列車の運転にかかる経費 | 1億2,200万円 |
駅業務にかかる経費 | 2,800万円 |
固定資産税 | 1,600万円 |
減価償却費 | 6,700万円 |
保守管理費 | 2,100万円 |
輸送管理費 | 5,100万円 |
営業費用計 | 6億6,500万円 |
営業収入 | 2,200万円 |
営業損益(赤字額) | 6億4,200万円 |
参考:大糸線利用促進輸送強化期成同盟会「第3回振興部会資料」をもとに筆者作成
糸魚川~南小谷の赤字額は、年間で6億4,200万円。収入が2,200万円しかない線区で、いくら利用促進策を頑張っても大きな改善は見込めません。
もちろん、赤字であっても一定の利用者数がいれば存続させるでしょう。しかし、1人も乗らない列車がある大糸線。JR西日本は「地域の人が乗らない鉄道を存続させる意義」について深く話し合うために、この振興部会を申し入れたのです。それなのに、協議会と同じく「利用促進」にこだわる自治体の姿勢に落胆します。
JR西:
出典:大糸線利用促進輸送強化期成同盟会「第4回振興部会 会議録(要旨)」
(前略)具体的な交通に関する議論について、まずは活性化策を優先して取り組むとしたことについては大変困惑するものであり、遺憾と言わざるを得ない。
少なくともこれまでご説明させていただいた大糸線の利用状況等を踏まえると、活性化や利用促進だけでは地域の未来に資する議論とはなり得ない。大糸線が地域の役に立てているとは言い難い状況に何ら変わりはない。
強い語調で話すJR西日本は、改めて「持続可能な路線の方策検討」についても議論を深めてほしいと要求します。これに、他の振興部会のメンバーは了承。次回の振興部会では、JR西日本の考えを聞くことを確認して閉会します。
利用促進策を決めたい自治体と持続可能性を議論したいJR西日本
第4回振興部会(2023年5月9日)では、沿線自治体とJR西日本との激しい応酬が繰り広げられます。
まず、JR西日本の考えとしてローカル線の課題について説明。線区の特性や需要などを踏まえ、「まちづくりに合わせた利用しやすい公共交通網を実現したい」という考えを示します。そのうえで大糸線に関しては、鉄道の「あり方」を含めて、早急に議論したい考えを伝えます。
現状把握や利用促進の議論に留まることなく、ニーズに相応しい未来に資する持続可能な交通体系に関する具体的な議論を少しでも早く地域の皆様とともに開始することで、持続可能な地域社会の実現に繋がるものと考えています。
出典:大糸線利用促進輸送強化期成同盟会「第4回振興部会資料」
JR西日本は、上下分離方式や第三セクターなども含め、持続可能な路線につながる方策を研究したいと要望。ただし、大糸線の沿線地域から撤退したいわけではなく、むしろ地域振興に関わり続ける覚悟がある点も伝えています。
これに対して部会長は、「北陸新幹線の敦賀延伸などを控えており、まずは利用促進策を優先したい」と要望。小谷村も「利用客の増加や沿線地域を盛り上げるために、村民を巻き込んで取り組みを進めている」と、利用促進策の検討を優先したい考えを示します。
しかし、JR西日本は「持続可能な路線の方策検討」に固執します。
この状況に松川村は、「このままでは、議論は平行線をたどる。持続可能な路線の方策検討を重視するのであれば、振興部会の内容が変わってくるのではないか?」と質問します。JR西日本は「本質を突いたご指摘」と前置きし、上下分離や第三セクターなどを含めた取り組みを例に出して「大糸線の価値を見出し、地域に役立つ公共交通網を皆様と一緒に模索していきたい」と率直な気持ちを伝えます。
また、池田町の観光協会からは「地域が考える活性化と、JR西日本が考える活性化が合っていない。大糸線を廃止にしたいという話であれば、あまり希望を持たせないでほしい。活性化に取り組むなら、どうしたら良いかもっと歩み寄っていただきたい」と注文。一方のJR西日本は、「仮に利用促進の目標を達成できたとしても、鉄道の特性が発揮できるほどの数になるとは言い難い。利用促進の取り組みが持続可能な路線の方策を見出すとは言えず、具体的な交通体系の議論も不可欠だ」と反論します。
誤解のないように追記しますが、JR西日本は利用促進を否定しているわけではありません。利用促進とあわせて地域公共交通の再構築も検討しなければ、輸送密度100人/日前後の線区だと鉄道もバスも維持できなくなる、ということを伝えたいわけです。
利用促進で地域を活性化させたい自治体と、持続可能な公共交通のあり方を議論したいJR西日本。両者の意見は平行線をたどり、出口が見えません。部会長は、JR西日本の主張に理解を示しつつ、「沿線自治体の首長の意見も踏まえて今後の方向性を検討する」とまとめ、部会を閉会します。
「本格的な利用促進」で大糸線の未来を決めることに
第4回振興部会の後、長野県と新潟県はJR西日本との三者協議を実施。沿線自治体の意向を伝えつつ、何度もすり合わせをおこないます。その結果、「本格的な利用促進策・利便性向上策」を関係者が一丸となって集中的におこない、その結果を踏まえて「持続可能な路線の方策検討」をしていくことが確認されました。
つまり、2024年度におこなわれる利用促進事業は、大糸線の将来を決めるための重要な社会実験になるのです。
この提案に、JR西日本は快諾。前回から1年近く経過した2024年3月14日に、第5回振興部会が開催されることになりました。この日は、北陸新幹線の敦賀延伸開業の直前です。関西からの観光客を取りこぼさないためにも、利用促進策を決めたいところです。
具体的な利用促進策は、2024年5月9日にリリースされた「大糸線『本格的な利用促進・利便性向上』の取組みについて」で示されています。主な実証事業をみていきましょう。
■「〔仮称〕北陸新幹線で Go!大糸線キャンペーン」の内容
- 旅行商品の企画・販売(期成同盟会・JR西日本)
- 謎解きラリーの実施(期成同盟会)
- 大糸線特設サイトの開設(期成同盟会)
- JR西日本の媒体でプロモーション実施(JR西日本)
- 京阪神・北陸エリアでの駅でPRイベント開催(協議会・期成同盟会・JR西日本)
- デジタルチケットの造成(JR西日本)
- 糸魚川~白馬で臨時バス運行(協議会)
各施策には、責任主体を明確に示しています。
旅行商品は、京阪神エリア発着で沿線の観光地をめぐるプランを期成同盟会が中心となって企画。JR西日本が販売主となります。謎解きラリーは、列車内や駅、駅周辺の施設などをめぐるスタンプラリーのようなもの。これも期成同盟会が実施します。
デジタルチケットとは、JR西日本の観光ナビ「tabiwa by WESTER」で発売される、乗り放題の周遊パスです。糸魚川~白馬間の鉄道と、臨時増便するバスで利用できます。
そして、糸魚川~白馬の臨時バスは、糸魚川駅で北陸新幹線との接続を考慮した臨時バスの運行事業です。本来であれば大糸線の列車を増便したいところですが、施設の関係などで増便が難しいため、1日4本の臨時バスで対応します。バスは大糸線の各駅に停車し、運賃はJRと同額。きっぷのほか定期券でも乗車できます。
紆余曲折があり、なんとか「沿線活性化の検討」を形にした振興部会。「本格的な」という枕詞からは、沿線自治体の本気度を表すとともに、これが大糸線の沿線自治体に与えられた「ラストチャンス」とも読み取れます。2024年度は、大糸線にとって大きな転換期を迎える年になりそうです。
※沿線自治体と協議を進めている路線は、ほかにも複数あります。各路線の協議の進捗状況は、以下のページよりご覧いただけます。
参考URL
大糸線活性化協議会(糸魚川市)
https://www.city.itoigawa.lg.jp/7274.htm
平均通過人員2,000人/日未満の線区ごとの収支データ(JR東日本)
https://www.jreast.co.jp/company/corporate/balanceofpayments/pdf/2019.pdf
ローカル線に関する課題認識と情報開示について(JR西日本)
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220411_02_local.pdf
アンケート調査結果 (速報版)概要版 平成28年11月(糸魚川市)
https://www.city.itoigawa.lg.jp/secure/12308/281129%20shirou-02-01.pdf
大糸線活性化協議会
https://www.city.itoigawa.lg.jp/7274.htm
大糸線利用促進輸送強化期成同盟会「振興部会」
https://www.city.itoigawa.lg.jp/item/32684.htm
大糸線「本格的な利用促進・利便性向上」の取組みについて(JR西日本)
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/a8b346b95feada8481777594584e91b7.pdf